No.028

UPDATE2016/2/2

世界の中心

2014年4月に社会人になり、翌2015年1月、いわゆる第二新卒としてプラスディーに入社した中野由季子。プラスディー歴ちょうど1年、社会人歴もまだ2年に満たないながらも、ディレクターとして多くのプロジェクトの進行に奮闘する彼女が語る「世界の中心」とは?

あの頃の、世界の中心

前職を1年足らずで辞めてプラスディーに転職した理由は、広告の企画に関わりたかったからです。就活時には大手代理店のプランナーやコピーライターになりたくて、そういう会社を受けていたんですが、上手くいかずに企画の仕事もあるというデジタルサイネージの会社に入りました。ただ、入社してみると、全社的に企画の仕事がほとんどなかったんです。それで転職しようか悩んでいた時期に、プラスディーに面談に来て。そのときは話だけ聞いてみようという感じだったのですが、この会社なら自分がやりたいことができそうだと感じて、入社することを決めました。プランナーやコピーライターになりたかったのは、彼らが世の中の流行りや考え方、価値をつくり出している存在だと感じていたからです。大げさかもしれませんが、世界の中心みたいだなって。

※このサイトに掲載のイラスト・写真・文章の無断転載を禁じます。すべての著作権は株式会社プラスディーに帰属します。

子どもの頃からその場の中心になりたがるというか、場の空気をつくりたがるところがありました。小学校時代は授業中ずっと先生とおしゃべりして、クラスメイトを笑わせていたんです。中学校のときなんか、大人しいお嬢様ばっかりなのに同じスタイルを続けていたら、先生から「あなたにはもっと合う学校があるんじゃない?」って勧められる始末で。厄介払いじゃないですよ、親切心で言ってくれたんだと信じています(笑)。私自身、知らない世界に飛び込むのも悪くないなと思っていたので高校から別の学校へ行きました。この学校は中高一貫校で、私以外は中学の3年間でコミュニティができあがっていたので人生で初めて、大人しく黙って1年を過ごしました。2年目からはコミュニティに溶け込んで、またおしゃべりするようになったんですけどね。

あの日の、現場の中心

転職して、携わるのは企画の要素があるプロジェクトばかり、クライアントは他業種で常に新しいことに触れられる、と仕事内容自体はすごく楽しかったんですが、ただハッピーなことだけだったかというとそうではなくて。けっこう長い間、自分に自信が持てなくて、しゃべるのが怖くなってしまっちゃっていたんです。生意気に聞こえちゃいそうですが、これまでの人生であんまり失敗をしてこなくて、なんでもそつなくやってきたし、やれると思っていました。でも、はじめてのことばかりの仕事のなかで、いっぱい失敗するし、知識やスキルの無さに気付かされるし、どんどん自信がなくなって。それでもどんどん仕事は回ってくるので、こんな重要な仕事、私に任せていいの? とまで思ったこともありました。

それが変わったのは、仕事のボリュームが一番大きかった10月、11月をなんとか乗り切れたから。特に転機になった案件を挙げるなら、一件の撮影だと思っています。航空会社のプロモーションページ用に、機内を撮影した際、トラブルが続出したんです。一番のトラブルは、撮影予定の飛行機が現場に来れなくなったこと。そこで、自分でベストだと思う代替案を考えて、実践したんです。もちろん、自分一人で何とかできるはずはないので、クライアントに別の機体を手配してもらったり、カメラマンさんと相談しながら代替機でも撮れるカット、撮れないカットを整理して準備したり……。結果は、なんとか無事に撮影でき、できあがったページにも満足いただけて。目上の人達ばかりな中で、私がイニシアチブをとって指示し、プロジェクトを成功させられたのは大きな自信になりました。あの日、あの現場の中心にはなれたんだと思います。

私の、世界の中心

「判断するのがディレクター」「自信なく振舞うのはダメ」とよく言われていたのですが、その言葉の意味も実感として分かりました。ディレクターとしての自信も少しはつきました。でも、ずっとディレクターとしてやっていきたいかというと、迷いがあります。ディレクターとしてでも、「現場の中心」や「ものづくりの中心」にはなれるのかもしれませんが、私のなりたい「中心」は少し違うみたいで。

忙しさにかまけて、将来のことを考える時間をほとんど取れていなかったのですが、年末年始に時間ができたこと、転職して1年経ったことで、少しずつ考え始めています。手始めに、就活のときに目指していた、実は今でもやっぱり憧れていた大手広告代理店のクリエイティブ局で働いている友人に話を聞いてもらったんです。そのとき言われたのは、中途で大手代理店のプランナーになるのは、たぶん無理だということ。私のスキルや素養がどうという以前に、そもそも中途の人が誰もいないんだそうです。それを聞いてやっと、長いことぼんやりと胸の中にあった憧れに一区切り着いたような気分になりました。もちろんスッキリとはしないですけどね。

苦しみながらも自分にできることを見つけ、自信に変えた中野由季子。ひとつひとつのプロジェクトや、周囲のメンバー、自身の考えやスキルについても、素直に向き合うようになってきた印象がある。願わくば、プラスディーが「中心」へ向かう一助にならんことを。

メンバーからのメッセージはかつてチームリーダーとして中野の上長であったプロデューサー高梨と、同世代として公私の相談を受けることも多いデザイナー高橋から。

facebook
twitter
Yuji Takanashi
私自身、中野と同じようにWEBを全く知らずにこの世界に飛び込んだため、彼女の苦悩がよくわかりました。ただ、クリエイティブの仕事をしているとどうしても「気合と根性」で乗り越えなければいけない局面が何度も来ます。知識と経験は後からついてきますが、この部分はどうしてもその人間のポテンシャルに依存します。幸いにもこのポテンシャルを高く持っていた中野だからこそ、1年でも自信がつく仕事ができるようになったのではないでしょうか。それは、少しずつ彼女をご指名で依頼頂ける案件が増えたことが証明していると思います。次は単純なディレクションではなく、「中野の企画」を実現させることを期待しています。
Kota Takahashi
同じ年に入社した(ほぼ)同期として相談したりされたり、一年でだいぶ距離が縮まりましたね。お互い腹黒ブランディングをされたりしますが、自身の正義をしっかり持っているが故の腹黒だと勝手に思っています笑 そんな彼女だからこそ腹を割って話せる数少ない貴重な存在になってくれた気がします。社内では常に最前線で走りまわっている印象で、忙しくなってくると髪をお団子にするので、とてもわかりやすいです笑 その姿が社内に活気を与えていたりもします。いつか、なかゆ企画のプロジェクトでデザインをしたいものです。

中野 由季子 の+D ― DIGOE(地声) ―

イラッとするというメンバー多数のよく通るアニメ声の持ち主。つくっているのなら即やめさせるレベルだが、地声なので止む無し。

No.028

Yukiko Nakano

前職ではホテルや店舗へのデジタルサイネージの営業職を担当。広告プランニングに携わりたいと、2015年1月にプラスディーに入社。八景島の実家から通勤しているくせに残業が多く、ことあるごとに都心での一人暮らしを勧められている。

PHOTO by Naoki Umeda : INTERVIEW by Yasuhiro Tanaka : BUILDING by Norikazu Teraguchi : PLANNING by Kota Takahashi : EDITING / PLANNING by Kiyotsugu Fujiwara