No.036

UPDATE2016/10/5

マネジメント

芸能事務所でタレントマネージャーを務めた後、自身で事業を起こす経験もしたという異色の経歴の持ち主・小松正彦。そんな彼が、”経営“ではなく”芸能“に根差したマネジメント論を語る。
※本文中のマネジメントという語句は、特に指定のない場合「芸能マネジメント」を指します。

“芸能”マネジメント

芸能マネジメントに関わるようになったのは、東京での兄のような存在の、バイト時代の先輩の手伝いをしたことがきっかけでした。20歳のとき、友達の家に転がり込むようにして出てきた東京で、偶然始めたのがフィリピンバーの皿洗い。先輩は系列店の店長で、話があったのか色々よくしてもらってたんです。そんな先輩が店を辞め、知人の伝手でとあるアーティストのマネージャーを始めたんです。先輩との仲もあったし、芸能に興味もあったので、勉強がてら色々手伝うようになったんです。名前が出せないくらい大物だったので、いろんな経験をさせてもらいました。仕事はもう信じられないくらいハードだし、遊び方も派手だし、言動も突飛で。でもそれが全然嫌じゃなく、むしろ振り回されるのが楽しくもあって。

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そのときにはもう、自分はマネジメント向きの性格なのかもと思い始めていましたね。相手が何をして欲しがっているかを考えるのが好きで、それを実現するためにいろんな無茶をするのも嫌じゃない。逆に、自分自身が何かしたいという想いはそんなに強くないんだなって。

その後、先輩がIKKOさんのマネジメントをする事務所に移った際に、僕も一緒に入社しました。IKKOさんは仕事に対する姿勢が本当にまっすぐで、妥協のない人でしたから、付いていくのはやっぱり大変ではありました。でもやっぱり、楽しさというか、やりがいは常に感じていましたね。プラスディーと出会ったのも、IKKOさんのマネージャーをしていたころでした。公式サイトの制作を担当したのがプラスディーで、その後もコンテンツの運用する際に一緒に仕事をしました。多いときは、毎週プラスディーのオフィスに通っていましたね。

“地元”マネジメント

IKKOさんの元を離れたのは2011年の秋。決断した理由は同じ年の春に起きた東日本大震災でした。僕、福島出身なんです。ご存知のように、地震と原発事故によって大きな被害を受けました。故郷の被害が甚大らしいと聞いて居ても立っても居られなくて、地震発生の直後に、同じく東京に出てきていた地元の友達と一緒に救援物資を運びました。道中の道路状況も分からず、現地の安全性もよく分からない状況だったので、福島方面には僕らのほかは自衛隊しか走っていません。ガタガタになった高速道路を走りながら、不謹慎ですが映画で見る滅亡都市みたいだなと感じていました。途中、僕らを呼び止めた自衛官が、荷物を確認した後に敬礼をして贈り出してくれたときは泣けてきましたね。

現地に着き、救援物資を配ると、心が痛むくらいありがたがってくれて。泣きながらお礼を言われるんです。拝むようにする人さえいて。また泣けました。そして、悔しくもなりました。地方は強くならないといけない、東京の言いなりになってはいけないし、東京に依存してもいけないと思ったんです。

事務所を辞めた後は、地元の助けになることをしようと、雇用をつくり出せそうな事業を起こすことにトライしました。といっても、地元はまだまだ通常のビジネスができるような状況ではなかったので、東京で事業基盤をつくるところから。地元の仲間や知人の力を借りながら、いろんな事業を試しました。都会でしかできないような事業じゃなく、全国どこででもできそうな事業です。なかには上手く行ったものもあって、僕の手こそ離れましたが、一緒に立ち上げた友人たちが今でも事業運営を続けています。

“会社”マネジメント

地元に貢献したいという想いを強く持っていた僕が、プラスディーに入社することにした最大の理由は、本田さん(プラスディーCEO)の存在でした。事務所を辞めた後も、忘年会やら社員の誕生日会やらで年に1,2回顔を合わせていたのですが、その度に「うちに来い」と誘ってくれていたんです。毎回、少しずつ誘い文句が変わったのですが、4回目だったか、5回目だったかのときに、プラスディーが今後やりたいこととして、“地方創生”という言葉が出てきたんです。僕を誘うための言葉ではなく、会社としての本当の展望だったのですが、その言葉が決め手になりました。

事業を起こしつつも、自分は牽引役になるタイプじゃないなという想いは常にありました。芸能マネージャーだったころのように、誰かを担ぎ、支える方が性に合っているとずっと思っていたんです。本田さんは、担ぎたいと思える人でした。ほんの一時仕事をしただけの自分を買ってくれ、誘い続けてくれていることに恩義も感じていました。その人が、自分が使命感を持っている”地方に力をつけること”をやろうとしているのなら、一緒にやらない理由がありませんでした。

僕は、ある意味会社のマネージャーのようなつもりで働いています。個人として成果を出すことよりも、信じた人たちの想いを通すことに力を尽くしたいんです。

入社当初は主軸事業である広告制作や映像制作の仕事がほとんどでしたが、徐々に地方創生に関する仕事の割合が増えてきました。会社としてもはじめたばかりの事業ですし、社外を見渡してもそう事例の多い事業ではありません。手探りの苦労はありますが、無理そうなことも、あの手この手で”何とかする”感覚は、芸能マネジメントと通じるところがあります。そこにおもしろさを感じるあたり、やっぱり苦労するのが嫌いじゃないんでしょうね(笑)。

著名人のマネジメント、故郷の被災などを経験しつつ、自身の仕事観や使命を自覚するようになった小松正彦。「自分自身が前面に立って手柄を上げるよりも、立つべき人を立てて、裏側で腕をふるってサポートしたい。僕自身の存在は気付かれないくらいのほうがいい。」と語る顔には、マネージャーとしての矜持が垣間見えた。

メンバーからのメッセージは小松が惚れた男たちのなかからこの2名をピックアップ。映像制作事業本部長・平野とMA・編集エンジニア・安達から。

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Koji Hirano
ああ、小松さんですか。懐かしいですね。私たちのいた3区から1区に行ったのは知ってましたが、その後はあまり、その…、まあ、噂は色々聞いていますよ。なんか仕事に対して生き生きしはじめたとか。私たちでは、彼の中に眠るポテンシャルを引き出せなかったみたいで、今はポテンシャルの生き神だとか、仕事の鬼神だとかブイブイ言わして、色々活躍されてるお噂は聞いていますよ。 え?そのことについてですか? まあ、思うところは色々ありますが、活躍してるのは一緒に働いていた仲間としては嬉しいですよね。ただ…、私生活が…、あ、私から聞いたなんて言わないでくださいね。私生活でも夜はその、ブイブイブイブイ言わせてるなんて。そんなこと一言も私は喋ってない体でお願いします。できればここ、カットしてください。カットで。
彼に、メッセージですか? 私たちから彼に言うことなんてないですが、彼の背中を追いかけて私たちも突っ走っていこうと思ってますので、止まらないでほしいですね。ほら、彼、止まるとあれなんで。え?そこは口が裂けても言えませんよ。
Kyosuke Adachi
様々な異色な経験をしながらもプラスディーを選んだ小松さんには日々いろいろと影響を受け、チャレンジすることの大事さを改めて気づかせてもらいました。私にとっては教科書的な存在です。これからも一緒に夢を実現してテッペンを取りにいきましょう。



小松正彦の+D ― DIMOTO-AI(地元愛) ―

熱い福島の血が流れる小松は、震災に関わらず、もともと地元愛の強い。そんな愛の表れのひとつが、叔父の“たけおっちゃん”がつくった梅エキス。激しく酸っぱいそのエキスを、「万病に聞くから」と半ば強引に社員たちに舐めさせて周る。

No.036

Masahiko Komatsu

フリーターをしながらバンド活動に明け暮れた青春時代、タレントのマネージャー、事業づくりなどの経験を経て、プラスディーに入社。見た目は社内トップクラスにやんちゃなのに、腰は社内で一番低い。

PHOTO by Kyosuke Adachi : INTERVIEW by Yasuhiro Tanaka / Shun Nishida : BUILDING by Daon Kim : PLANNING by Kazuki Ishiguro : EDITING by Kiyotsugu Fujiwara